【弥生時代の問題】定期試験・大学入試にも出る21題|高校日本史B

弥生時代に関する問題

定期試験/大学受験対策のための「弥生時代」の問題集です。一問一答形式で効率的に用語暗記ができます。

全ての問題に詳しい解説を付けているので、ぜひご活用ください!

目次

「弥生文化」の問題‐15題

弥生文化は何百年もかけて、九州から東北へと普及した

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【問題1】弥生時代になると(  )が本格化し、生産経済へと移行する。(  )は生産面での弥生文化最大の特色と言える。

解答解説1
正解は水稲耕作すいとうこうさくです。

水稲耕作は稲作いなさくとも呼ばれます。弥生文化は水稲耕作を基礎とする文化です。

水稲耕作自体は縄文晩期じょうもんばんき九州北部きゅうしゅうほくぶですでに始まっていましたが、これが沖縄北海道を除く日本全国に広まったのは弥生時代に入ってからです。

(※水稲耕作の始まりについては、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題2】弥生文化は(  )の使用と水稲耕作を特徴とした。[津田塾大・改題]

解答解説2
正解は金属器きんぞくきです。

弥生時代に入っても引き続き石包丁いしぼうちょうなどの石器が用いられますが、弥生文化では、石器に加え金属器の使用も開始されます。

金属器とは、鉄器青銅器せいどうきの総称です。鉄器は武器農具に用いられ、青銅器は祭祀さいしの道具として使われました。祭祀さいしとはお祭りや儀式のことですよ。

【問題3】弥生文化が形成された当時、北海道では( ① )文化が、沖縄や南西諸島では( ② )文化が成立した。[上智大・改題]

解答解説3
続縄文ぞくじょうもん文化ぶんか、②貝塚かいづか文化ぶんかです。

北海道の続縄文文化では、鉄器は使用されましたが水稲耕作すいとうこうさくなどの農耕は行われず、狩猟採集経済しゅりょうさいしゅうけいざいでした。

沖縄や南西諸島なんせいしょとうに見られる貝塚文化も、基本的には狩猟採集経済でした。ちなみに貝塚文化は南島なんとう文化ぶんかと呼ばれることもあります。従って②は南島文化でも正解です。

【問題4】1884年に東京の向ヶ丘むこうがおか貝塚で発見された土器で、縄文土器に比べ、薄手で硬く、赤褐色の土器を何というか?[中央大・改題]

解答解説4
正解は弥生土器やよいどきです。

東京の本郷弥生町ほんごうやよいちょうで発見されたことから、弥生土器と命名されました。

【問題5】弥生土器の用途には煮炊き用の( ① )、貯蔵用の( ② )、食物を盛り付ける( ③ )などがある。[同志社大]

解答解説5
正解は①かめ、②つぼ、③高杯たかつきです。

弥生土器は縄文土器とは違い、用途によって形が異なります。名称と用途をセットで覚えるようにしてくださいね。

(※縄文土器と弥生土器の違いについては、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題6】米を蒸すための弥生土器を何というか?

解答解説6
正解はこしきです。弥生時代の炊飯器ですね。

漢字も難しいですが、定期試験や大学入試では頻出ですよ!

【問題7】佐賀県の(  )遺跡からは、縄文時代晩期の土器とともに水田の跡が見つかり、大陸から九州北部へと水稲耕作が伝わっていたことが判明した。[関西大・改題]

解答解説7
正解は菜畑なばたけ遺跡です。

縄文晩期ばんき水田跡すいでんあととしては、佐賀県菜畑遺跡福岡県板付いたづけ遺跡が有名です。

【問題8】弥生時代前期の終わり頃には、稲作が本州の北端近くにまでおよんでいた。このことを証明する水田跡としては青森県の垂柳遺跡と(  )遺跡が代表的である。[同志社大・改題]

解答解説8
正解は砂沢すなざわ遺跡です。

弥生時代前期の終わり頃には、水稲耕作の文化が青森県にまで及んでいました。

青森県砂沢遺跡と、同じく青森県垂柳たれやなぎ遺跡は入試頻出ですよ。

【問題9】弥生時代前期の稲作は低湿地を利用した( ① )で行われていたが、中期には鉄製農具が普及したこともあり、後期になると灌漑施設をともなった( ② )の開発も盛んになった。[慶応大・改題]

解答解説9
正解は①湿田しつでん、②乾田かんでんです。

弥生時代前期に営まれた生産性の低い田んぼが湿田で、後期に登場する生産性の高い田んぼが乾田です。

(※乾田と湿田の違いについては、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題10】弥生時代の水稲耕作は、田植えやモミの直播きをし(  )で穂首刈りをするのが一般的であったが、後期農耕では、鉄鎌が普及した。[成城大・改題]

解答解説10
正解は石包丁いしぼうちょうです。

弥生時代前期には石包丁で穂首刈ほくびがが行われましたが、中期に鉄製農具が普及しだすと、次第に鉄鎌てつがまを使って収穫作業をするようになりました。

【問題11】収穫した作物は、木臼や( ① )で脱穀し、甑で蒸して食べた。余ったものは貯蔵穴や( ② )に蓄えられた。[東京女子大・改題]

解答解説11
正解は①竪杵たてぎね、②高床倉庫たかゆかそうこです。

「脱穀」といえば木臼きうす竪杵たてぎねの2つです。

また、貯蔵穴ちょぞうけつ高床倉庫たかゆかそうこにより貯蔵が可能になると、富が蓄積され、貧富や階級の差が生じるようになります。これは弥生時代の大きな特徴です。

【問題12】集落の周りに溝をめぐらす( ① )は、余剰生産物の増大に伴う、地域集団間の争いに備えた防御機能をもつ集落であった。( ① )の遺跡としては佐賀県の( ② )が非常に有名である。[同志社大・改題]

解答解説12
正解は①環濠集落かんごうしゅうらく、②吉野ヶ里遺跡よしのがりいせきです。防御的・軍事的な性格をもった集落としては香川県紫雲出山遺跡しうでやまいせきで有名な高地性集落こうちせいしゅうらくも重要です。

【問題13】縄文時代の埋葬方法が「屈葬」だったのに対し、弥生時代の埋葬方法には(  )が多く見られる。[甲南大・改題]

解答解説13
正解は伸展葬しんてんそうです。

死者を恐れ、折りたたんで埋葬した屈葬くっそうとは異なり、伸展葬しんてんそう体を伸ばした状態で埋葬する方法です。

伸展葬の普及は、「死後も生前と同じように生活できるように」という思想が弥生時代から発達したことを示しています。

【問題14】低い墳丘の四方に溝をめぐらせた墓で近畿地方に見られる家族単位の墓地を何というか?[立教大・改題]

解答解説14
正解は方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼです。

弥生時代の墓制ぼせいで、「みぞ」・「近畿地方」といったキーワードを見たら方形周溝墓です!

また弥生時代の墓制には地域差が大きく九州北部では甕棺墓かめかんぼや朝鮮半島の影響を受けた支石墓しせきぼが見られますよ。

(※弥生時代の墓制については、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題15】弥生時代の中期~後期には近畿・中国地方などに大きな丘をもつ墓がつくられた。その名称を漢字3文字で何というか?[首都大・改題]

解答解説15
正解は墳丘墓ふんきゅうぼです。

「小国の分立」の問題‐6題

【問題16】紀元前1世紀頃の倭人の社会が100余国に分立していたことを記述する中国の歴史書を何というか?[明治学院大・改題]

解答解説16
正解は漢書かんじょ地理志ちりしです。

『漢書』地理志によれば、紀元前1世紀の日本は100余りの小国に分かれており、前漢ぜんかんの植民地であった楽浪郡らくろうぐんに定期的に使者を送っていました。

(※『漢書』地理志については、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題17】『漢書』地理志の記述によれば、紀元前1世紀の日本には100余りの小国が存在し、定期的に朝鮮半島の(  )に使者を送っていた。

解答解説17
正解は楽浪郡らくろうぐんです。

楽浪郡は朝鮮半島に位置しますが、中国の前漢ぜんかんが支配する地域でした。また楽浪郡は現在のピョンヤン付近にあったと考えられています。

(※楽浪郡と、その後の時代に出てくる帯方郡の違いについては、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題18】『後漢書』東夷伝に記述のある「建武中元二年」とは西暦何年のことか?

解答解説18
正解は西暦57年です。

日本史に登場する一番最初の年号ですね。「建武中元二年」は「けんむちゅうげんにねん」と読みますよ。

(※『後漢書』東夷伝については、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

【問題19】『後漢書』東夷伝によれば「建武中元二年」に九州北部にあったと考えられている(  )の王が後漢の都、洛陽に使者を送り、印綬を授けられた。[同志社大・改題]

解答解説19
正解は奴国なこくです。奴国は現在の福岡県にあったと考えられる小国です。

後漢書ごかんじょ東夷伝とういでんには「建武中元二年けんむちゅうげんにねん奴国なこくみつぎほうじて朝賀ちょうが」と書かれています。「西暦57年、奴国王なこくおうみつぎ物を持って挨拶にきた」という意味ですよ。

【問題20】1784年に福岡県の志賀島で偶然に発見された金印は、後漢の光武帝が紀元57年に奴国王に与えたものだと推定されている。この金印の印面には(  )の文字が刻まれている。

解答解説20
正解は漢委奴国王かんのわのなのこくおうです。

」にはニンベンはつきませんよ!

「倭」と間違えてしまわないように注意してくださいね!

【問題21】『魏志』倭人伝によれば、邪馬台国の女王( ① )の使者は、朝鮮半島の( ② )を経て、魏の都の洛陽におもむいた。その結果、( ① )は( ③ )の称号を与えられた。

解答解説21
正解は①卑弥呼ひみこ、②帯方郡たいほうぐん、③親魏倭王しんぎわおうです。

(※『魏志』倭人伝の内容については、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

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