高校日本史Bの定期試験~大学受験に対応した奈良時代(710年~794年)の一問一答集です。
全部で17問あり、「歴史能力検定」や「教養としての日本史学習」にも役立つ内容なので、ぜひ挑戦してみてください!当然ですが、無料で利用できますので、なんども練習してくださいね。
「まずは奈良時代の流れを理解したい!」という方は奈良時代の総まとめを参考にしていただければと思います!
それでは、ここから問題に入っていきましょう。
奈良時代に関する一問一答 17選!
【問題1】710年、( )天皇の時代に、藤原京から平城京への遷都が実施され、奈良時代がはじまった。[中央大・改題]
【解答】正解は元明天皇です。元明天皇は女性の天皇ですよ。文武天皇の母親にあたります。
【問題2】奈良時代の初期に権力を握ったのは中臣鎌足の子の( )である。[法政大・改題]
【解答】正解は藤原不比等です。藤原不比等は中臣鎌足の子です。中臣鎌足は死後、藤原姓を与えられ、藤原鎌足になりました。つまり中臣鎌足が「藤原氏」の祖ですよ。
【問題3】元明天皇の時代に、武蔵国から銅が献上されると、708年には( ① )と呼ばれる貨幣が鋳造された。この( ① )から958年の乾元大宝までの12種類の銭貨を( ② )という。[同志社大・改題]
【解答】正解は①和同開珎、②皇朝十二銭です。
日本最古の貨幣は富本銭ですが、和同開珎は日本で最初の流通を目的とした本格的な貨幣です。
また和同開珎~乾元大宝までの12種類の貨幣を皇朝十二銭といいます。
【参考記事】和同開珎と富本銭の違い
【問題4】( ① )年には貨幣の流通を促すために、( ② )を発した。( ② )は蓄銭量に応じて位階を授与する法令であった。[東海大・改題]
【解答】正解は①711年、②蓄銭叙位令です。「お金がないー!蓄銭叙位令」と覚えましょう。
蓄銭叙位令はお金を貯めれば貯めるほど位階がもらえる制度ですが、結果的には失敗に終わります。
【関連記事】蓄銭叙位令とは
【問題5】奈良時代、中央から地方へは官道が七道の各地域に向けて整備されており、途中の約16kmごとに( ① )が設置され公用の際に使用された。これを( ② )と呼ぶ。[上智大・改題]
【解答】正解は①駅家、②駅制です。
官道とは簡単に言えば奈良時代の国道のことですね。また公用の役人以外は駅家を使うことはできません。
【問題6】元明天皇の時代、辺境の支配を目指し、712年には東北地方に( ① )が、713年には南九州に( ② )が設置された。[南山大・改題]
【解答】正解は①出羽国、②大隅国です。
出羽国は蝦夷支配を目的に設置されました。一方、大隅国は隼人支配を目的に設置されました。
【問題7】藤原不比等の死後、元明天皇の娘の( ① )天皇のもとで皇族出身の( ② )が政治の実権を握った。[上智大・改題]
【解答】正解は①元正天皇、②長屋王です。
【問題8】( ① )天皇のもとで長屋王が政治の実権を握ると、口分田の不足に対処するため( ② )年には百万町歩開墾計画が、( ③ )年には三世一身法が施行された。[学習院大・改題]
【解答】正解は①元正天皇、②722年、③723年です。
覚え方は「何に百万使ったの?百万町歩開墾計画!」です。この百万町歩開墾計画は大失敗します。
これを受けて翌年(723年)に三世一身の法の施行されます。そこで、「三世一身じゃ、なにさ、結局は国のもの」というゴロで覚えます。
【問題9】724年に即位した( )天皇は、藤原不比等の娘である光明子を皇后にした。その結果、権力を握ったのが藤原四子である。[東洋大・改題]
【解答】正解は聖武天皇です。
【問題10】( )年、藤原四子は、左大臣の長屋王に謀反の罪を着せて自害させた。[上智大・改題]
【解答】正解は729年です。「何食わぬ顔で謀反の罪!長屋王の変!」と覚えます。
【問題11】737年に藤原四子が相次いで病死すると翌738年、( ① )は右大臣となり聖武朝で政治の実権を握った。また、( ① )は( ② )や玄昉を登用し自らの政治を補佐させた。これに対し、740年、( ③ )は( ② )や玄昉の排斥を求めて九州の大宰府で反乱を起こしたが失敗に終わった。[上智大・改題]
【解答】正解は①橘諸兄、②吉備真備、③藤原広嗣です。
【参考記事】吉備真備とは
【問題12】聖武天皇の時代、( ① )年には( ② )が発布され、土地の永久私有が認められた。この後、貴族、大寺院、有力者などが墾田の開発に熱心に取り組むようになり初期( ③ )が出現した。[学習院大・改題]
【解答】正解は①743年、②墾田永年私財法、③初期荘園です。
土地の永久私有を認め、国有を諦めたので、「国有はなしさ、墾田永年私財法!」と暗記しましょう。
【参考記事】墾田永年私財法とは
【問題13】749年には聖武天皇の娘である( ① )天皇が即位し、( ① )天皇の母である光明子は光明( ② )という立場で、大きな権力を握った。この光明( ② )の信任を得て台頭したのが南家・藤原武智麻呂の子の( ③ )である。( ③ )は757年には橘諸兄の子( ④ )を倒し、権力を確立した。[上智大・改題]
【解答】正解は①孝謙天皇、②光明皇太后、③藤原仲麻呂、④橘奈良麻呂です。
【参考記事】光明子と光明皇太后の違いとは
【問題14】南家出身の藤原仲麻呂は、光明皇太后に重用され、( ① )天皇を擁立して権力を握り、( ② )を名乗った。しかし藤原仲麻呂は、764年の( ② )の乱で敗死してしまう。[立教大・改題]
【解答】正解は①淳仁天皇、②恵美押勝です。
【問題15】( ① )上皇は重祚して( ② )天皇となり、道鏡を重用した。( ② )天皇の信任を得て太政大臣禅師、法王の位に上り詰めた道鏡は、天皇の位を望み、769年に( ③ )神託事件を起こしたが、( ④ )の必死の努力により阻止された。
【解答】正解は①孝謙上皇、②称徳天皇、③宇佐八幡神宮、④和気清麻呂です。
【問題16】770年、天智天皇の孫にあたる( )天皇が即位した。[慶応大・改題]
【解答】正解は光仁天皇です。
【問題17】光仁天皇のもとで権力を握ったのは( ① )である。このとき道鏡は下野の( ② )に左遷され、失脚した。[同志社大・改題]
【解答】正解は①藤原百川、②下野薬師寺です。
お疲れ様でした!奈良時代に関する一問一答集はこれで終わりです。
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