この記事は、大学受験や歴史能力検定に対応した、縄文時代の完全まとめです。
もちろん教養として日本史を学びなおしたい方にも、最適な内容になっています。
ぜひ当記事を活用して縄文時代を「理解・暗記」していただければ幸いです!
日本史の始まりから縄文時代までを総まとめ
まず縄文時代とは日本史のどのあたりなのかをはっきりさせておきましょう!
この記事では、旧石器時代~縄文時代の終わりまでを、総まとめしています。
記事の最後には腕試し用の一問一答も設置しましたので、ぜひご活用ください!
更新世
人類の進化は猿人→原人→旧人→新人の順番です。日本史で扱うのは我々と同じ新人段階からです。
ここで時代区分を確認しておきましょう。今から約1万年前までを地質年代では更新世といいます。更新世の別名は氷河時代と旧石器時代です。
更新世は今の北極くらい寒かった。だから「更新世=氷河時代」なわけです。
で、この更新世が終わると温暖な完新世になります。
さらに更新世の時代には旧石器(打製石器)が主に用いられていた。だから、「更新世=旧石器時代」なのですね。
(↓更新世と完新世のより詳しい解説はコチラ)
参考記事更新世と完新世の違い・順番・覚え方旧石器文化の発見
実は「更新世=旧石器時代」の存在が明らかになったのは戦後のことなんです。戦前までは縄文時代より前には、日本には人間が住んでいなかったと考えられていたのです。
更新世の時代にも人類が日本に住んでいたことを証明したのは、考古学青年であった相沢忠洋が発見した群馬県の岩宿遺跡です。
この岩宿遺跡の関東ローム層という更新世の地層から打製石器が見つかったのです。道具が出てくるということは縄文時代以前の日本にも人類が住んでいたことの証拠になりますよね。
その後この発見がきっかけとなり、日本各地で5000箇所以上の旧石器時代の遺跡が確認されています。特に重要なのは沖縄県で完全な形で発見された化石人骨です。ほぼ完全な状態で発見された沖縄県の港川人は有名です。
さらに更新世の時代には旧石器(打製石器)が主に用いられていた。だから、「更新世=旧石器時代」なのですね。
(↓化石人骨のより詳しい解説はコチラ)
参考記事化石人骨まとめ!港川人・山下町洞人・浜北人縄文時代
縄文時代というのは、要は土器が使われるようになった時代のことです。地質年代でいうと完新世にあたります(私達が生きている現在も完新世の続きです!)。また、縄文時代の別名は新石器時代です。
「新石器」とは磨製石器のことです。縄文時代になると打製石器に加えて磨製石器も使われるようになるのですね。
参考記事3分で分かる!打製石器と磨製石器の違いまた縄文時代になると温暖化の影響で木の実が豊富にとれるようになります。完新世になり暖かくなったので海面も上昇し今の日本列島の形が作られるわけですが、そうすると砂浜や入り江も増えて貝や魚も簡単にとれるようになるのです。
つまり食糧事情が大幅に改善するのですね。やっぱり暖かい方が食料は豊富なんです。
もう少し細かく言うと、針葉樹林と呼ばれる寒い地域を好む木が北の方へ移動し、東日本では落葉広葉樹林が、西の方では照葉樹林が増えます。これが木の実が豊富に採れるようになった理由です。
落葉広葉樹林!?照葉樹林!?どんな木なのかな?
落とし穴・弓矢の発明
また、縄文時代になるとマンモスやナウマンゾウは絶滅し、イノシシやウサギなどの中小動物が主な狩猟の対象になります。
そこで、これらのすばしっこい中小動物を捕獲するために発明されたのが落とし穴や弓矢です。
とくに弓矢は重要で、矢の先端の▲の部分を石鏃といいます。石鏃は打製石器なので注意してくださいね!
骨角器の発達
さらに魚をとるために縄文時代に入ってから発達したのが釣針や銛などの骨角器です。骨角器は狩猟でとれた動物の骨や牙などを加工した道具です。
漁労の発達
また縄文時代には船も発明されました。これを丸木舟といいます。
それだけではなく縄文時代には網を使った漁もすでに始まっていました。漁労の道具である網を固定するおもりとして使われたのが、石錘・土錘です。
「漁労」って何?
「漁労」とは漁業、つまり魚などを採ることだよ!
土器の発達
縄文時代のネーミングの元になったのが縄文土器ですね。縄文土器は低温で焼かれた黒褐色の厚手な土器です。
「たかが土器」と思われるかもしれませんが、土器の発明は大きな衝撃でした。土器のおかげで貯蔵や煮炊きができるようになったからです。
(※縄文土器と弥生土器の違いについては、コチラの記事でさらに詳しく解説しています。)
また、縄文時代は土器の特色で6つに分類することができますよ!
具体的には、
- 草創期
- 早期
- 前期
- 中期
- 後期
- 晩期
です!
縄文時代の生活
ここからは、縄文時代の住居、交易、お墓、信仰などについて解説していきます。
竪穴住居
縄文時代になると家族単位で定住生活をするようになりました。規模としては20人~30人の小集団と言われています。
今までは獲物を追って移動する生活をしていましたが、縄文時代になると家を作って定住するようになります。
そこで登場するのが竪穴住居です。穴を掘って柱を建て、屋根をつけたもので、真ん中あたりには煮炊きをするための炉がもうけられました。
竪穴住居は漢字注意ですよ!竪穴住居ですからね!
三内丸山遺跡
但し例外もあります。青森県の三内丸山遺跡では500人以上の人々が約1500年にわたって定住生活を営んでいた。つまり巨大な集落跡も見つかっているんです。
大森貝塚
遺跡つながりで、東京都の大森貝塚もおさえておきたいですね。貝塚とは縄文時代のゴミ捨て場のようなものです。
大森貝塚を発見したのはアメリカ人のモースですよ!大森貝塚の発見は1877年で、日本で最初に発掘調査が行われた貝塚跡です。そのため「日本考古学発祥の地」でもあります!
なんで貝殻を捨てるゴミ捨て場がそんなに大切なの?
貝殻のカルシウムのおかげで人骨や動物の骨が溶けずに保存されるんだ。だから縄文時代の食生活や気候を知るのに、とても役立つんだよ!
その他の有名な貝塚には千葉県の加曽利貝塚、福井県の鳥浜貝塚、岡山県の津雲貝塚を挙げることができます。
例えば、鳥浜貝塚からは人糞の化石や丸木舟なんかが見つかっていますよ。また津雲貝塚からは人骨170体が出土しています。
縄文人の交易
縄文時代の人々はかなり広い範囲にわたって交易をしていたことが分かっています。なぜ分かるかというと、当時の主な交易品である黒曜石やひすいの分布から知ることができるんです。
例えば、栃木県産の黒曜石が200キロ以上離れた静岡や長野で見つかっています。また長崎県産の黒曜石が朝鮮半島の遺跡から出土するなんてこともあります。
想像よりも遥かに広い範囲で交易が行われていたことが分かりますね。
なんで黒曜石がそんなに大事だったの?
黒曜石を使えば簡単に鋭利な刃物を作れるんだ。とくに弓矢の材料である石鏃を作るのに重宝したんだよ。
つまり黒曜石は打製石器の材料として重要だったんだね!
黒曜石の産地
黒曜石の産地として有名なのは北海道の十勝岳と長野県の和田峠です。
ひすいの産地
ひすいの産地としては、新潟県の姫川が有名です。
ひすいは何に使うのかな?
ひすいはアクセサリーの材料として使ったよ!
さらに黒曜石とひすい以外にも、近畿地方の二上山で産出するサヌカイト(讃岐石)も石器の材料として広い範囲で取引されました。
(※縄文時代の交易については、コチラの記事でさらに詳しく解説しています。)
原始農耕と水稲耕作
縄文時代は基本的に狩猟や採集で食料を得る採集経済です。農耕が本格化し生産経済に移行するのは弥生時代になってからです。
しかし、縄文時代にも一部、農耕が行われていたことが分かっています。ただし縄文時代の農耕は、食料獲得のメインになるほどには発達していなかったわけですね。これを原始農耕と言います。
また、先程、縄文時代の細かい区分を解説しましたよね?
そうです。草創期→早期→前期→中期→後期→晩期ってやつです。で、縄文晩期にはすでに水稲耕作、つまり米作りも始まっていたことが分かっています。
なんで縄文晩期には米作りをしていたなんてことが分かるのかな?
それは縄文時代の田んぼ(水田)の遺跡が見つかっているからだよ!
具体的には、佐賀県の菜畑遺跡と福岡県の板付遺跡が有名だね!定期試験や入試でもよく出題される遺跡なので覚えておこう!
縄文時代の墓制
お墓というのはその時代の「権力」を知るのに重要なんです。どんな権力者がいて、どのくらいの範囲を統治していたかがお墓から分かるわけですね。
で、縄文時代の墓制は基本的に共同墓地です。これは縄文時代には身分の差が無かったことを表しています。
身分差があって権力を握っている人がいる時代であれば、前方後円墳みたいなでっかいお墓が出てくる。でも縄文時代にはそうした大きなお墓は見つかっていないのですね。
縄文時代の信仰
縄文時代の信仰つまり宗教のことをアニミズムといいます。これは「自然現象ってすごいなぁ(笑)」という信仰です。
アニミズムは呪術的要素が大きい信仰です。呪術とは「おまじない」のことですね。そして呪術のための道具として作られたのが、女性をかたどった人形である土偶や男性器をイメージした石棒です。
また、成人の儀式と考えられているのが抜歯です。これは前歯を抜くことですね。
なお、「なぜわざわざ健康な歯を抜いてしまうのか?」については以下のサイトで詳しく考察しているので、参考にしてみてください。
さらに、死者は折りたたんで埋葬された。これを屈葬といいます。
屈葬についても想像するしかありませんが、死者の霊を恐れたために屈葬が行われたと言われています。ゾンビのように生き返ってこないようにしたのでしょうか。
詳細は不明ですが、屈葬は縄文時代の特徴的な埋葬法です。
縄文時代のまとめ
- 土器が使われるようになった時代を縄文時代という
- 旧石器時代は寒かったが、縄文時代は暖かくて食料が豊富
- 縄文時代には、落とし穴・弓矢が使われた
- 縄文時代には、釣針・銛などの骨角器が使用された
- 縄文時代には、丸木舟や石錘・土錘といった漁労の道具が発達した
- 縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に分類される
- 縄文時代には、定住が始まり竪穴住居が使用された
- 縄文時代の注目の遺跡は、三内丸山遺跡と大森貝塚
- 縄文時代には、黒曜石、ひすいが広範囲で取引された
- 縄文時代には、すでに原始農耕や水稲耕作が開始されていた
- 縄文時代の信仰をアニミズムという
最後に「一問一答」を設置しているよ!試験対策にぜ挑戦してみてね!
一問一答 7題!縄文時代をマスターしよう!
「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。
1.1877(明治10)年にアメリカの動物学者(①)によって東京都の(②)貝塚が発見・調査され、日本の縄文時代の研究が出発した。[東北学院大]
2.縄文時代の始まりは今から約1万年前で、氷河時代が終わり、気候が温暖化して動物、植物相が大きく変化したときにあたっている。森には従来の大型動物に代わって、シカ・イノシシなどの中小動物が出現する。このような環境の変化にともない、それまでの槍に代わって中小の動物をとらえるための(①)や、食物の貯蔵や煮炊きをする(②)が発明された。[東北学院大]
3.矢の先端部分に用いられた打製石器を何というか?
4.縄文時代、福井県鳥浜貝塚や東京都中里貝塚などで( )が見つかっており、八丈島など外洋に航海していることも知られている。[中央大]
5.姫川流域が特産地で、匂玉などの材料として用いられた硬玉とも呼ばれる石を何というか?[早稲田大]
6.縄文時代における儀礼に用いたと考えられる道具のなかで、女性をかたどった人形を何というか?[立命館大]
7.縄文時代には、遺体をそのまま穴の中に埋葬することが多いが、四肢を折り曲げて埋葬する方法を何というか?[立命館大]
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