この記事は、大学受験や歴史能力検定に対応した、旧石器時代の完全まとめです。
もちろん教養として日本史を学びなおしたい方にも、最適な内容になっています。
ぜひ当記事を活用して旧石器時代を「理解・暗記」していただければ幸いです!
旧石器時代とは
旧石器時代とは、石器を用いていた時代のうち打製石器のみを使用していた時代のことです。打製石器とは、石を打ち砕いて作る石器のことです。
地質学的には、旧石器時代は更新世にあたります。更新世の期間は、海が凍るほど寒かったので別名 氷河時代とも呼ばれます。
このあたりはややこしいので、年表で整理しておきましょう。
旧石器時代は更新世であり氷河時代でもあるわけです。
そして、旧石器時代の次の時代が縄文時代です。縄文時代は完新世であり新石器時代でもあります。
日本人の起源
「旧石器時代=更新世=氷河時代」は非常に寒く、海の水が凍った結果、海面が下がります。
そのため、当時はまだ今の日本列島は形成されておらず、大陸と陸続きになっていました。
このため日本列島には北からマンモスやヘラジカが、南からナウマンゾウやオオツノジカがやってきました。
南方から来たのがナウマンゾウ、と覚えてください。ナウマンゾウは南方から来たわけですから、マンモスは北から来た大型動物ですね。
これらの大型動物を追って大陸から今の日本列島に渡ってきた人々が、現在の日本人の起源だと考えられています。
旧石器時代の生活と道具
旧石器時代とは、打製石器のみを用いていた時代のことです。
打製石器の具体的な種類としては、ナイフ形石器や尖頭器などがあります。これらを棒の先にくっつけて石槍を作り、大型動物を捕まえていました。
こうした狩猟中心の生活をしていたので、マンモスやナウマンゾウといった大型動物を追って、10人前後の小集団で移動しながら生活を営んでいました。
従って、旧石器時代にはまだ定住生活は始まっていません。
また旧石器時代の終わり頃には、細石器と呼ばれる小型の打製石器も使われるようになりました。
細石器とは、木に鋭く加工した打製石器を埋め込んで使う道具のことです。現代のカッターナイフのように刃となる石器の部分が欠けてくるなどして使いにくくなったときに刃先を交換することが可能でした。
旧石器時代の発見
実は、第二次世界大戦前までは「日本には旧石器時代はない」と考えられていました。
つまり戦前には「縄文時代より前に日本列島に人間は住んでいなかった」と、考えられていたのです。
相沢忠洋の発見
ところが1946年の大発見によってそれまでの常識がくつがえされます。
趣味で個人的に考古学を研究していた相沢忠洋という青年が、1946年に群馬県の岩宿遺跡で更新世の地層(関東ローム層)から打製石器のかけらを発見したのです。
更新世といえば旧石器時代ですよね。ですから、更新世の地層から打製石器が見つかったということは、日本にも旧石器時代に人類が住んでいたことになるんです。
続いて1949年の明治大学の発掘調査により、岩宿遺跡が旧石器時代の遺跡だと確認されます。
これをきっかけに我が国でも旧石器時代の調査研究が盛んに行われるようになり、現在では5,000箇所以上もの旧石器時代の遺跡が日本国内で発見されています。
代表的な旧石器時代の遺跡と化石人骨
前述の通り、日本で最初に見つかった旧石器時代の遺跡は群馬県の岩宿遺跡です。
その他5,000箇所以上の旧石器時代の遺跡が存在しているわけですが、ここでは大学入試で出題されやすい有名な遺跡をご紹介します。
①長野県・野尻湖
長野県の野尻湖ではナウマンゾウやオオツノジカの骨や牙が大量に出土しています。
こうした大型動物は縄文時代に入ると絶滅してしまうので、野尻湖は旧石器時代の遺跡だと分かります。
②静岡県・浜北人
静岡県では、浜北人という化石人骨が発見されています。化石人骨とは人間の骨の化石です。
日本史学習で「化石人骨」と言う場合、基本的には旧石器時代の人骨の化石のことを意味しています。
浜北人も含め、これからご紹介する化石人骨はいずれも新人段階のものです。
③沖縄県・山下町洞人
沖縄県で発見された山下町洞人は、今から約3万2000年前のもので日本最古の旧石器時代の人骨(化石人骨)です。
④沖縄県・港川人
沖縄県で発見された港川人も重要な化石人骨です。ほぼ完全な状態の化石人骨が男女合わせて9体も発見された貴重な旧石器時代の遺跡です。
(※化石人骨については、コチラの記事でさらに詳しく解説しています。)
まとめ
これで旧石器時代の解説は終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。
旧石器時代の次は縄文時代です。縄文時代の詳しい解説は以下の記事よりご覧いただくことができます。
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