この記事は、大学受験や歴史能力検定に対応した、弥生文化の完全まとめです。
もちろん教養として日本史を学びなおしたい方にも、最適な内容になっています。
ぜひ当記事を活用して弥生文化を「理解・暗記」していただければ幸いです!
飛鳥文化の覚え方・暗記方法
解説文を読んだ後にしっかりと飛鳥文化の知識を暗記できるように、記事の最後に下記のような一問一答を設置しました。
例題聖徳太子の氏寺で奈良県にある世界最古の木造建築と言われる寺を何というか?「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。
記事の最後に設置した一問一答を使えば、効率的に文化史の重要用語を暗記することができます!ぜひ活用してみてください!
飛鳥文化の基本
飛鳥文化は538年(戊午説)若しくは552年(壬申説)の仏教の伝来から7世紀半ばの大化の改新までの間の文化です。
飛鳥文化の中心寺院は法隆寺です。そして、飛鳥文化の中心人物は聖徳太子であり、法隆寺を建立したのも聖徳太子です。なお聖徳太子は厩戸王と呼称されることもあります。
また飛鳥文化は百済や高句麗、中国の南北朝の文化の影響を強く受けています。
当時、日本と新羅は仲が悪かったので、新羅の文化はほとんど入ってきませんでした。一方、日本は百済と密接な関係をもっていたため、百済の文化は多く取り入れられることになります。
また、古墳時代は大きな古墳を作って権威を示していましたが、「仏教の公伝」から始まる飛鳥文化では、古墳に変わって氏寺を建立することが権威の象徴になったわけです。氏寺とは一族(氏)の発展を願って建立されたお寺のことです。
例えば聖徳太子(厩戸王)の氏寺は大和(奈良県)の斑鳩に建てられた法隆寺と難波(大阪府)に建立された四天王寺の2つです。法隆寺は世界最古の木造建築と考えられています。
また、聖徳太子(厩戸王)が権力を握っていた時代、同じように強い権力を持っていたのが蘇我馬子です。蘇我馬子の氏寺は奈良県の飛鳥寺です。
そして聖徳太子(厩戸王)の文化史的な功績としては法華経・維摩経・勝鬘経の注釈書である『三経義疏』を記したことが挙げられます。
ここまでは飛鳥文化の基本中の基本です。
ここから先はより細かい重要用語を紹介していきます。とくに大学受験のために日本史を勉強されている方は要チェックです。
飛鳥文化の応用知識
飛鳥文化の応用知識として、①氏寺、②彫刻、③工芸、④絵具・歴、について詳細に解説していきます。
氏寺
まず氏寺ですが、大学入試レベルでは、聖徳太子の氏寺である法隆寺と四天王寺、そして蘇我馬子の氏寺である飛鳥寺だけでは足りません。
さらに渡来人である秦氏の族長である秦河勝の氏寺として、広隆寺をおさえてください。また飛鳥寺の別名も重要です。「飛鳥寺=法興寺」です。
さらに舒明天皇が建立した百済大寺も重要です。
また聖徳太子(厩戸王)が創建した法隆寺は現存はしているものの、創建当時のものではありません。これを法隆寺再建説と言いますが、その根拠になったのが若草伽藍跡の発掘です。
この若草伽藍跡の発掘調査により、現在の法隆寺は焼失後の再建ではないかと言われています。
彫刻
さらに大学入試では、飛鳥時代の彫刻も頻出です。飛鳥文化は中国の南北朝時代の影響を受けています。
中国の北方の影響を受けた仏像を北魏様式、中国の南方の影響を受けた仏像を南朝様式といいます。そのため飛鳥時代の仏像は大きく北魏様式と南朝様式に分けることができます。
北魏様式の仏像
北魏様式の仏像で一番有名なのが法隆寺金堂釈迦三尊像です。作者は鞍作鳥です。作者も入試に出ることがあります。
また法隆寺夢殿救世観音像も重要です。また鞍作鳥の作として、飛鳥寺釈如来像も試験に出題されます。これら北魏様式の仏像の特徴は左右対称で力強い印象を受けることです。
ちなみに仏像を暗記するコツは、画像検索や資料集で現物を確認することです!
法隆寺金堂釈迦三尊像や法隆寺夢殿救世観音像や飛鳥寺釈如来像は、リンク先のような像となります。このように、画像とセットで名称を覚えるようにしましょう。
南朝様式の仏像
南朝様式とは中国の「南」の影響を受けた仏像のことです。有名なのは以下の3つです。
- 法隆寺百済観音像
- 広隆寺半跏思惟像
- 中宮寺半跏思惟像
特徴は左右非対称で優しい顔をしていて丸みがあることです。こちらも 法隆寺百済観音像 、広隆寺半跏思惟像、中宮寺半跏思惟像のようにリンク先の画像を確認しながら覚えていきましょう。
工芸
飛鳥文化の工芸も入試頻出です。まず法隆寺系から解説すると、一番有名なのは法隆寺玉虫厨子です。扉絵なのですが、なんと実際の玉虫の羽を装飾に使っています。
続いて、法隆寺獅子狩文様錦も重要です。法隆寺獅子狩文様錦はイラン文化の影響を強く受けた織物で弓を引き狩猟をする様子が描かれています。
さらに中宮寺の天寿国繡帳という織物も入試頻出です。この織物は、聖徳太子の死を悲しんだ奥さんの橘大郎女が作らせたものです。
これら法隆寺玉虫厨子、法隆寺獅子狩文様錦、天寿国繡帳について、リンク先の画像を確認しながら覚えていきましょう!
絵の具・歴
続いて、飛鳥時代に絵の具・紙・墨を日本にもたらしたのが高句麗の僧である曇徴です。また百済の僧である観勒は歴法・天文を日本にもたらしました。曇徴と観勒は超頻出です!
さて、ここからは一問一答で飛鳥時代の文化史を暗記していきましょう。
飛鳥文化の一問一答!
「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。
1.日本初の仏教文化である( )文化は、新たな思想や技術を伝えた僧や工人などの渡来人に支えられていた。[立命館大・改題]
2.厩戸王の氏寺で、世界最古の木造建築は何か?
3.厩戸王の著作と言われている法華経・維摩経・勝鬘経の注釈書を何というか?
4.飛鳥文化は中国の( )時代の影響を強く受けている。[日本大]
5.蘇我氏の氏寺は何か。
6.( )は、秦河勝が建立した氏寺である。[明治大]
7.( )跡の発掘調査から現在の法隆寺は一度焼失し再建されたとされる説が有力となった。
8.飛鳥文化の仏像は中国の南北朝文化の影響を強く受けている。(①)の作である法隆寺金堂釈迦三尊像は(②)様式である一方、法隆寺百済観音像は(②)様式である。[立命館大・改題]
9.( )寺の天寿国繍帳は聖徳太子の死を追悼する意図で作られた織物である。
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