弥生時代の特徴は
の3つです。
金属器とは、青銅器と鉄器の2つを総称した言葉ですね。
この記事では、弥生時代に金属器(つまり鉄器と青銅器)がどんな用途でどのように使われていたのかを詳しく解説します。
弥生時代の金属器を超わかりやすく解説
弥生時代になると、鉄器と青銅器が日本にほぼ同時にやってきました。そのため「弥生時代になると金属器が普及し……」等と表現するのです。
鉄器と青銅器の用途
鉄器は青銅器に比べて硬いので、武器や農具に用いられました。もっとも弥生前期の農具は基本的に木製で、鉄製農具が普及するのは弥生中期以降です。
こうした「木製農具→鉄製農具」の発展と農業における生産性の変化については下記の記事を参考にしてください。
一方、鉄器よりも柔らかい青銅器は、祭祀(お祭りや宗教的儀式)の用途で用いられました。そのため青銅器で作られた祭祀の道具のことを、青銅製祭器といいます。
ちなみに青銅器とは銅と鈴の合金ですよ。
青銅製祭器の種類と分布
具体的な青銅製祭器の種類としては、主に近畿地方に分布する銅鐸、主に瀬戸内海中部に分布する銅剣、九州北部に多く見られる銅矛・銅戈などがあります。
- 銅鐸→近畿地方
- 銅剣→瀬戸内海中部
- 銅矛・銅戈→九州北部
上記のように「どの青銅製祭器が主にどの地域で使われていたか?」まで理解しておく必要がありますよ。
青銅製祭器の遺跡
青銅製祭器が発掘された遺跡と言えば「島根県」がキーワードです。
銅剣358本が埋納されていた島根県の荒神谷遺跡と、銅鐸39個が埋納されていた島根県の加茂岩倉遺跡の2つは大学入試で頻出ですよ!
鉄器と青銅器に関するまとめ
弥生時代になると金属器が普及しました。金属器とは鉄器と青銅器の2種類です。
鉄器は武器や農具に、青銅器は青銅製祭器として祭祀に用いられました。具体的な青銅製祭器には銅鐸・銅剣・銅矛・銅戈などがあります。これらの分布も入試頻出事項です。
また銅剣で有名な島根県・荒神谷遺跡と銅鐸で有名な島根県・加茂岩倉遺跡も入試頻出の重要遺跡です。
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