古墳時代に渡来人が伝えたものを簡単にわかりやすく解説!【須恵器や文字】

渡来人が伝えたもの(須恵器や文字)

古墳時代には、日本に数多くの渡来人とらいじんがやってきました。

渡来人とは、4世紀後半以降に中国や朝鮮半島から日本に渡って来た人々のことです。

彼らは、日本に様々な「学問」や「技術」を伝えます。

具体的には、より進んだ鉄器の製造方法須恵器すえき機織りの技術金属工芸土木技術文字医学暦法天文学儒教絵の具/紙/墨の作り方などがあります。

須恵器すえきと文字の伝来は特に重要なので、赤字にしています。

まずは「須恵器すえき」と「文字」について解説していきますね。

目次

須恵器の伝来

須恵器すえきは、弥生土器の流れを組む土師器はじきとは違い5世紀に朝鮮半島からもたらされたもので、かまを使って1,000度以上の高温で焼き上げた灰色で硬質の土器です。

須恵器
須恵器
(引用:兵庫県立考古博物館蔵)

須恵器と土師器の違い

一方で土師器はじきは、弥生土器の流れを組む素焼きの土器です。土師器は主に日用品として用いられました。

土師器
土師器
(引用:兵庫県立考古博物館蔵)

つまり、須恵器は朝鮮半島からもたらされた最新の土器で、土師器は弥生土器が発展進歩したものだと区別すると分かりやすいですね。

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文字の伝来

5世紀の応神おうじん天皇の治世において、渡来人王仁わに文字漢字)を日本に伝えたと考えられています。

その際、王仁がもたらした書物が『論語』と『千文字』です。

文字がないと読み書きができません。読み書きができないと、文化は発展しません。

みちくさ

こう考えると、文字(漢字)の伝来には大きな意味がありますね。

文字(漢字)の伝来を示す3つの遺物

なぜ文字(漢字)が、5世紀の日本に伝わったことが分かるのか?

それは遺物いぶつが残っているからです。

稲荷山古墳出土鉄剣銘

文字(漢字)の伝来を示す日本最古の遺物は、西暦471年の稲荷山いなりやま古墳出土鉄剣銘てっけんめいです。

これは埼玉県から出土した115文字の漢字が刻まれた鉄の剣です。

(※稲荷山古墳出土鉄剣銘については、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

漢字の使用といえば稲荷山古墳出土鉄剣銘!

隅田八幡神社人物画像鏡銘

但し、隅田八幡すだはちまん神社じんじゃ人物じんぶつ画像がぞう鏡銘きょうめいが日本最古の遺物だという説もあります。

これは和歌山県の隅田八幡神社に伝えられたかがみです。

この遺物は443年に作られたという見解と503年に作られたという見解に分かれているため、本当に日本最古の文字の遺物かどうかは定かではありません。

漢字の使用といえば隅田八幡神社人物画像鏡銘も重要!

石上神宮七支刀銘

実は最古の文字の遺物は369年の奈良県いそのかみ神宮じんぐう七支刀しちしとうめいなのですが、これは百済くだら肖古王しょうこおうが委王(天皇)に贈ったものと考えられているので、日本国内で作られたものではありません

このため、日本最古の文字の遺物は「稲荷山古墳出土鉄剣銘いなりやまこふんしゅつどてっけんめい」か「隅田八幡神社人物画像鏡銘すだはちまんじんじゃじんぶつがぞうきょうめい」のどちらか、となります。

5世紀に文字が伝来

いずれにせよ、こうした文字の伝来を示す遺物がどれも「5世紀」に作られていることから、王仁わにが日本に文字(漢字)を伝えたのは5世紀の半ば~5世紀後半と考えることができます。

4世紀後半~5世紀末古墳時代中期ですから、文字の伝来もこの頃だと言えますね。

古墳時代中期に王仁が日本に文字(漢字)をもたらした!

西文氏(かわちのふみうじ)

なお、王仁は今現在でも名前が残っている数少ない伝説的な渡来人で、王仁の子孫は西かわちの文氏ふみうじという豪族にまでのぼりつめています。

「王仁」と「西文氏」は入試頻出ですよ!

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王仁以外の伝説的な渡来人

王仁以外にも、現在でもその名を残す伝説的な渡来人が2人います。

この2人の子孫も、豪族にまでのぼりつめていますよ。

阿知使主(あちのおみ)

1人目は阿知あちの使主おみです。

王仁同様、応神天皇の時代に渡来した人物で、文筆ぶんぴつに優れていました。

そのため、朝廷で文章の作成にあたる史部ふひとべという専門家集団の統括を任されました。

阿知使主の子孫は、やまとの漢氏あやうじという豪族になっています。

弓月君(ゆづきのきみ)

2人目は弓月君ゆづきのきみです。

弓月君も、王仁や阿知使主と同様に応神天皇時代に日本に渡来した人物です。

出身は百済くだらです。弓月君は古墳時代の日本に養蚕ようさん機織はたおりの技術を伝えました。

養蚕とはカイコを育ててまゆを生産することですね。ちなみにまゆとは、絹糸きぬいとの原料のことですよ。

また、弓月君の子孫も秦氏はたうじという豪族にまでなっています。

  • 王仁わに → 西文氏かわちのふみうじ
  • 阿知使主あちのおみ → 東漢氏やまとのあやうじ
  • 弓月君ゆづきのきみ → 秦氏はたうじ

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ヤマト政権における技術者集団

阿知使主あちのおみのところで史部ふひとべという「技術者集団」の話が出てきたので、ここでは古墳時代のヤマト政権における技術者集団についてまとめておきましょう。

なお、こうした技術者集団のことを氏姓制度しせいせいどでは品部しなべといいます。

品部は伴造とものみやつこの指揮下で働く部民のことです。伴造とは祭祀さいし・軍事・手工業生産などの特定の職務を担当する豪族のこと。

つまり「技術者集団=品部しなべ」です。以下では5種類の品部をご紹介します。

(※氏姓制度については、こちらの記事でさらに詳しく解説しています。)

史部(ふひとべ)

まずは阿知使主あちのおみが指揮した史部ふひとべ。これは公的な文書や記録を作りそれを管理する技術者集団です。

韓鍛冶部(からかぬちべ)

韓鍛冶部からかぬちべは、鍛冶かじを専門とする渡来系の技術者集団です。「鍛冶」とは金属を加工して製品を作ることですね。

陶作部(すえつくりべ)

陶作部すえつくりべは、須恵器すえきの製造を行う技術者集団です。あくまで陶作部が作るのは朝鮮系の須恵器の方であって、弥生系の土師器はじきではありませんよ!

錦織部(にしごりべ)

錦織部にしごりべは、高級織物おりものを作る技術者集団です。

鞍作部(くらつくりべ)

鞍作部くらつくりべは、馬のくらを作る技術者集団です。「くら」とは馬の背中に固定して人が乗馬しやすくするための道具ですね。

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その他の技術や学問の伝来

その他に伝来したものとして、儒教と暦法があります。

儒教の伝来

百済くだら五経博士ごきょうはかせである段楊爾だんようにによって、古墳時代の日本に儒教じゅきょうが伝来します。

儒教とは、孔子こうしを始祖とする学問・思想・宗教のようなものです。

暦法の伝来

602年に百済くだらから来日した観勒かんろくが、古墳時代の日本に暦法をもたらします。

暦の伝来」といえば百済観勒!と覚えておきましょう。

絵の具・紙・墨の製法の伝来

610年に高句麗こうくりから来日した曇徴どんちょうが、古墳時代の日本に絵の具・紙・墨の製法をもたらします。

曇徴は高句麗の出身ですよ!

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