この記事では、更新世と完新世の違いについて、徹底的に分かりやすく解説しました。
また記事の最後には、一問一答形式の問題を設置しているので、腕試しにぜひご活用ください。
更新世と完新世の違いとは?
鮮新世の次の地質学上の時代区分を更新世といいます。更新世の別名は氷河時代/旧石器時代です。
更新世は今から約1万年前まで続きました。
そして更新世の次の地質学上の時代区分を完新世といいます。完新世の別名は新石器時代/縄文時代です。
更新世がとても寒い時期だったのに対して、その次の完新世は温暖な時代です。
更新世と氷河時代
更新世(旧石器時代)は非常に寒い時期だったので、氷河時代とも呼ばれます。とても寒い氷期とそうでない間氷期が交互に訪れた時代でした。
「とても寒かった」って、どのぐらい寒かったの?
どのくらい寒かったかというと、海の水が氷るほど寒かったのです。
海が氷って氷河ができると、海面が下がります。すると陸地が増えますよね。
その結果、更新世(旧石器時代)には、日本列島がアジアと陸続きになっていました。
更新世の動物
更新世にはまだ今の日本列島が形成されておらずアジア大陸と陸続きだったので、陸橋を渡って北からはマンモスが、南からはナウマン象が渡来しました。
この「北=マンモス、南=ナウマン象」というのは大学入試でよく問われるポイントですね。南方(ナんぽう)だから南からナウマン象と覚えます。
更新世の人類
なぜ更新世が日本史の対象になるかというと、この時代にはすでに日本列島に人類がいたからです。
ではなぜ更新世の日本列島に人類がいたことが分かるのか?
考古学青年であった相沢忠洋が戦後間もない1946年に、群馬県・岩宿遺跡の関東ローム層という地層から、打製石器を発掘することに成功したからです。
打製石器が更新世の地層(関東ローム層)から出てきたということは、それを使っている人類も更新世にはいたことになりますよね。
ちなみに、打製石器を主に用いていた時代のことを旧石器時代といいます。だから
更新世(氷河時代)=旧石器時代
なんです。
化石人骨から分かる更新世の人類
化石人骨を調べてみると、更新世に暮らした人類が次々と見つかります。有名なのは、
- 兵庫県の明石人
- 静岡県の浜北人
- 沖縄県の港川人
- 沖縄県の山下町洞人
の4種類の化石人骨です。これらはいずれも新人段階の人類の化石で更新世(旧石器時代)に生きた人々です。
(※化石人骨については、コチラの記事でさらに詳しく解説しています。)
完新世とは
更新世が終わり続く完新世になると氷河時代も終わるので地球は温暖になりました。
氷河が解けて海面が上昇し今の日本列島が形成されます。ちなみに私たちが今生活している「現代」も完新世です。
完新世になるとマンモスやナウマン象といった大型動物は絶滅し、イノシシやシカなどの中小の動物が狩りの対象になります。
更新世の時代には大型動物を追って移住生活をしていた人類も、完新世になると温暖な気候のため食料が豊富になるので、たえず移動する必要がなくなり定住生活へと移行します。
その結果、竪穴住居に住むようになりました。これが完新世の始まりであり、縄文時代(新石器時代)の始まりでもあるのですね。
更新世と完新世のまとめ
- 鮮新世→更新世→完新世
- 更新世(氷河時代)=旧石器時代
- 完新世(温暖)=新石器時代=縄文時代
更新世と完新世に関する一問一答!
大学受験日本史の過去問を中心に一問一答形式の練習問題を用意しました。歴史能力検定にも役立つ内容です。ぜひ参考にしてみてください。
なお、「+解答解説」ボタンを押すと解説と答えを確認することができます。
1.258万年前に始まった( )世は地球全体で気候寒冷化がおこり、氷期・間氷期の交代が繰り返された。
2.更新世は極めて寒冷だったので、その影響で海面が下がり、日本列島とアジアはまだ陸続きであった。そのため陸橋を渡って南方から( )象がやってきた。
3.更新世は氷河時代とも呼ばれ、寒冷な氷期と、比較的温暖な( )期とが交互に訪れた。
4.日本列島の気候が温暖になったのは地質年代でいうと( )世である。
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