この記事では、壱与について、卑弥呼との関係も含めて簡単に分かりやすく解説しました。
目次
壱与とは?
壱与は壹与または台与とも書き、生没年不詳の女性です。
卑弥呼の死後、男王が立つも、内乱が勃発。
内乱をおさめるため、壱与が13歳の若さで、邪馬台国の女王になります。
壱与は卑弥呼の親族であったとも考えられています。
壱与の時代の政治
壱与は卑弥呼と同様に、魏に使者を送り、朝貢外交を展開します。
さらに、中国で三国時代が終わると、魏の次の国家である西晋にも使者を送ったとされています。
その後、3世紀後半~4世紀にかけて、奈良県を中心にヤマト政権が成立しますが、壱与が治めた邪馬台国との関連性は不明です。
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