この記事では、平城京の特徴を簡単にわかりやすく解説します。
平城京とは
710年に藤原京から平城京への遷都が行われます。
平城京は奈良の都なので、この遷都が奈良時代の始まりです。
つまり奈良時代は710年から、ということになります。
平城京の特徴
平城京のモデルになったのは唐の長安です。
また、平城京に見られる碁盤の目のような街路を条坊制といいます。
(※条坊制とよく混同されがちなのが、条里制です。条里制は、田んぼをマス目上に区分けする、土地区画制度のこと。条坊制と条里制を混同しないように、注意してくださいね。)
- 条坊制:都城制において碁盤の目のように街路を張り巡らせること。
- 条里制:田んぼをマス目上に区分けする、土地区画制度。
さらに、平城京の中央を走る道を朱雀大路といいます。
この朱雀大路の東側(右側)を左京、西側(左側)を右京と呼びます。
一見すると「左右が逆では!?」と思われるかもしれませんが、天皇から見た場合の呼び名なので、「東が左京、西が右京」であっているのです。
- 東側(右手)が左京
- 西側(左手)が右京
平城京には、皇族や貴族、官人など多くの人々が居住していたため、当然「お店」が必要ですよね。
そこで、品物を売買する「市」が、左京と右京に1つずつ置かれていました。
左京には東市が、右京には西市があり、これらの市を監督する役職を市司といいます。
平城京の政治の中心
平城京の政治の中心となるのは大内裏です。さらにその中心を平城宮といいます。
平城宮には天皇の居所である内裏、政務・儀式の中心となる朝堂院があります。
朝堂院の中には重要な儀式を執り行う大極殿があります。
南都七大寺
藤原京から平城京への遷都にともない、藤原京内外の寺院も、平城京に移転してきました(例えば、興福寺・大安寺・薬師寺・元興寺など)。
それら藤原京から移築されたお寺も含めて、平城京のお寺の中でとくに有名なのが南都七大寺と呼ばれる、7つのお寺です。
(なぜ「南都」か?というと、平城京が京都に対して南にあるためです。)
- 東大寺
- 薬師寺
- 興福寺
- 元興寺
- 大安寺
- 西大寺
- 法隆寺
平城京のまとめ
- 710年、平城京へ遷都し奈良時代が始まった
- 平城京は長安をモデルに碁盤の目のような条坊制を採用している
- 平城京の中心を南北に走る道を朱雀大路といい、朱雀大路の東を左京、西を右京という
平城京に関する練習問題!
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1.平城京は、唐の都( A )にならい、東西南北に走る道路で区画される( B )をもつ都市であった。平城京の北中央部には、天皇の居所、儀式や政務の場である( C )、二官八省などの官庁がおかれた。京内には貴族から庶民の住宅がたちならんだ。[慶応義塾大:改題]
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