令義解の内容を簡単にわかりやすく解説!養老律令の内容とは?【清原夏野】

令義解

この記事では、令義解を徹底的に分かりやすく解説しました!

記事の最後には、一問一答で知識を確認できるようになっているので、ぜひ参考にしてください。

目次

令義解の概要

りょうの義解ぎげは718年、元正天皇げんしょうてんのうのときに藤原不比等ふじわらのふひとらが中心となって編纂へんさんした法令の養老律令ようろうりつりょうのうち、養老令ようろうりょうの注釈書です。

令義解りょうのぎげには現代の刑法にあたる「りつ」についての記載はありません。しかし、現代の行政法・民法にあたる「りょう」について詳しく解説しています。

みちくさ

養老のうち「りょう」について解説している本だから「義解りょうのぎげ」という名前なんだね。

「養老律令」は戦国時代までに無くなってしまっているので、この法律を知るには「令義解」が頼りになります。

なお、令義解の成立は833年で、これを記したのは清原夏野きよはらのなつのらと言われています。

【補足】
養老律令の完成は718年でしたが、施工されたのは757年と、約40年も過ぎた後のことでした。
これは、養老律令を編纂した藤原不比等が死亡してしまったことなどが原因とされています。

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令義解の本文

ここから早速、令義解の本文を1つ1つ確認していきましょう。

50戸で1里!

令義解(1)

およ五十戸ごじっこもっせ。里毎りごとおさ一人ひとりけ。

【現代語訳】
戸は50戸で1里とする。里に里長を1人置け。

律令制度の時代は地域を国・郡・里で分けていました。

国・郡・里とは、今で言う都道府県や市区町村といった地方行政区画にあたります。

そして501という単位だったわけです。郷戸ごうことも呼ばれ、およそ20人~30人の集まりのことです。つまり郷戸は複数の家族で構成されていたんですね。ちなみに個々の家族のことを房戸ぼうこといいます。

計帳

令義解(2)

およ計帳けいちょうつくらむことは、年毎としまいに…

【現代語訳】
計帳は毎年作れ。

計帳けいちょうとは、税をとるための基本台帳のことです。氏名、年齢、性別など、税金を計算するのに必要な情報が書かれています。

「税をどのくらいとるか?」を計算する元になる台帳なので毎年作成されます。

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戸籍

令義解(3)

およ戸籍こせき六年ろくねんひとたびつくれ。…およ戸籍こせきは、つね五比ごひとどめよ。とおものしだいりてのぞけ。近江おうみ大津おおつみや庚午年籍こうごのとしのせきのぞくことせず。

【現代語訳】
戸籍は6年に1度作成し、30年間保存しなさい。30年経ったら古いものから捨てなさい。ただし近江大津宮おうみおおつのみやで作成した庚午年籍こうごねんじゃくは永久保存しなさい。

戸籍は6年に一度作成され、30年間の保存が義務付けられています。逆に、30年以上経ったものは捨てて良いんですね。

但し、天智天皇てんじてんのうが作った庚午年籍こうごねんじゃくという戸籍だけは永久に保存することになっています。

そもそも戸籍こせきは何に使うの?
わざわざ作らなくても「計帳」に氏名・年齢・性別が書いてあるんじゃないの?

みちくさ

戸籍は班田収授はんでんしゅうじゅの基本台帳として使うよ。
班田収授というのは、6歳以上の者に口分田くぶんでんと呼ばれる田んぼを国が貸し与える制度のことだよ。

口分田

令義解(4)

およ口分田くぶんでんたまはむことは、おとこ二段にだんおんな三分さんぶんいちげんぜよ。五年以下ごねんいかにはたまはず。

【現代語訳】
口分田くぶんでんの支給については男子に2段。女子にはその3分の1を減らして与えよ。5歳以下に与える必要はない。

口分田くぶんでんというのは、6歳以上の国民に国が支給してくれる田んぼのことでしたよね。

男子には2段、女子にはその3分の2の口分田が与えられました。

みちくさ

1段は360歩のことなので、2段というのは720歩。
その3分の2は、480歩。
つまり1段120歩が、女子に与えられたんだね。

なお、口分田を班給はんきゅうしやすいように田んぼを四角く分けました。これを条里制じょうりせいといいます。現在の田んぼが四角い形をしているのもこの名残と考えられます。

国民なら男子は2段、女子は1段120歩というのはみんなに共通だったの?

みちくさ

実は一律というわけじゃなかったんだ。
当時、貴族や一般の農民を良民りょうみん、その他の奴隷身分を賤民せんみんとして区別していたよ。

さらに、賤民せんみん五色ごしきせんという5種類に分類されました。五色の賤とは陵戸りょうこ官戸かんこ家人けにん公奴婢くぬひ私奴婢しぬひのことです。

陵戸りょうことは天皇のお墓を守る奴隷身分のことです。そして、政府が所有する奴隷が官戸かんこ公奴婢くぬひです。それに対して民間の有力者が所有する奴隷が家人けにん私奴婢しぬひです。

政府が所有する奴隷である陵戸・官戸・公奴婢は良民の男女と同じ量の口分田をもらえました。しかし、民間で所有する家人・私奴婢に関しては良民男女の3分の1しか口分田をもらえませんでした。

また口分田からの収穫に対しては、「」という税金が課せられました。租は1段につき2そく2でした。

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調・庸・雑徭

令義解(5)

およ調ちょうきぬあしぎぬいと綿わたぬのは、ならびに郷土きょうどところしたがへ。
およ正丁せいてい歳役さいえき十日とおかようるべくんば、布二丈六尺ぬのにじょうろくしゃく。…
およ令条りょうじょうほか雑徭ぞうようは、ひとごとひとしく使つかへ。すべ六十日ろくじゅうにちぐることをざれ

【現代語訳】
調ちょうは絹・あしぎぬ・糸・綿・布などの中から、その地方で適切なものを選んで納入せよ。正丁せいてい歳役さいえきは10日、もしその代わりにようで納入する場合は布二丈六尺ぬのにじょうろくしゃくとせよ。以上のりょうに規定した以外の雑徭ぞうようは、不公平にならないようにせよ。合わせて60日を超えてはいけない。

調ちょうとは地方の特産物を国に納めることです。これに対して歳役さいえきと呼ばれる年10日間の労働の義務を免除してもらうために支払う税のことをようといい、税額はぬのじょうしゃくでした。

みちくさ

歳役さいえきとは、正丁せいてい21歳~60歳の男子)が都で10日間働くことだよ。
しかし、たった10日間の労働のためにわざわざ地方から京の都まで歩いていくのは現実的ではなかったので、大部分の人は歳役を免除してもらうために庸を支払ったんだね。

また雑徭ぞうようという地方税も課されました。雑徭ぞうようはモノを納める税ではなく、労働で支払う税でした。

具体的には、国司こくしの命令で最大60日間、土木工事などをしなければなりませんでした。

(※租・調・庸・雑徭などについては、コチラの記事でさらに詳しく解説しています。)

兵役

令義解(6)

およ兵士へいし上番じょうばんせむは、きょうむかはむは一年いちねんぼうむかはむは三年さんねん行程こうていかぞへず

【現代語訳】
兵士としての勤務は、京に向かう衛士は1年、九州に行って防人となる者は3年とせよ。往復の日数はこれに含まない。

これは最も過酷な制度で、正丁せいてい(21歳~60歳の男子)の3人に1人には、兵役が課せられました。

京を警備するのが衛士えじ1年間)で、北九州を守るのが防人さきもり3年間)です。

みちくさ

防人に選ばれた場合には3年間の兵役がある上に、歩いて北九州に向かう間の往復の日数は期間に含まれていないというのは、本当に過酷ですね…。

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令義解に関する一問一答!8題

一問一答で重要ポイントを暗記しよう!

ここからは一問一答で知識を定着させていきましょう。一問一答を8題用意したので、腕試しにぜひご活用ください。

※それぞれの問題をタップ(クリック)すると、解答解説が表示されます。

【問題1】現在の刑法にあたるものを律といい、行政組織や租税、労役などの制度を規定したものを(  )という。[法政大・改題]

【解答】正解はりょうです。律令制度の「りつ」は現代の刑法にあたり、「りょう」は現代の民法行政法に該当する法律です。
天智天皇てんじてんのうのときに作られたのが近江令おうみりょう、続いて持統天皇じとうてんのうのときに飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょうが施行されます。
そして701年文武天皇もんむてんのうのときに作られたのが大宝律令たいほうりつりょうです。
令義解りょうのぎげが解説している養老律令ようろうりつりょうは、718年元正天皇げんしょうてんのうの元で藤原不比等ふじわらのふひとが中心になって編纂へんさんした律令で、施行せこう757年です。

【問題2】律令制度は中国の(  )という国を模範としてつくられた。[関西学院大・改題]

【解答】正解はとうです。

【問題3】757年になると、藤原不比等の制定した(  )が藤原仲麻呂によって施行された。

【解答】正解は養老律令ようろうりつりょうです。718年には養老律令は完成していましたが、編纂した藤原不比等の死没などによって施行が遅れ、約40年の時が過ぎたのち、孫の藤原仲麻呂政権になってようやく施工されます。757年という年号も重要ですよ!
なお、養老律令が施行されたときの天皇は孝徳天皇こうとくてんのうです。

【問題4】全国は五畿七道ごきしちどうに分けられ、その下に国・郡・里が設けられた。また、里は(①)戸から成った。律令制下の公民は国家に対して、物納の(②)・調・庸と、労役として(③)・仕丁・兵役を務める義務を負った。(②)は田1段につき2束2把の稲を納めるもの。調は諸国の産物やその代納物を納めるもの。庸は、労役の代わりに納めるものである。[日本大・改題]

【解答】正解は①50、②、③雑徭ぞうようです。
1は50で構成されていました。物納する税は調ちょうようの3種類ですね。
租は、口分田で取れた稲(米)について、1だんにつき2そく2を納めるものです。
調ちょうは地方の特産物を納める税ですね。よう歳役さいえき(都での10日間の労働)の代わりに納める税で、ぬの2じょう6しゃくでしたね。
雑徭ぞうようとは、国司ために土木工事などをする地方税のことで最大で60日間でした。仕丁しちょうとは50戸(1里)につき正丁せいてい(21歳~60歳の男子)2人の割合で徴発される労役で、3年間都で働くことを指します。

【問題5】戸(郷戸)は実際の家族そのままではなく、編成されたもので、平均的な戸の成員は25人程度であった。8世紀前半には、一時、この郷戸の下に10人程度の小家族から成る(  )が設けられた。

【解答】正解は房戸ぼうこです。
50戸で1里なのですが、それぞれの戸のことを郷戸ごうこともいい、郷戸は20人~30人で構成されていました。
戸を構成する各家族のことを房戸ぼうこといいます。

【問題6】身分制度は良民と賤民に分けられ、賤民には官有の(①)・官戸・公奴婢と私有の(②)・私奴婢の五色の賤があった。[同志社大]

【解答】正解は①陵戸りょうこ、②家人けにんです。

【問題7】班田収授を円滑に行うために規格的な土地区画がなされたが、そうした区画制度を(  )制という。[立教大]

【解答】正解は条里じょうりせいです。

【問題8】調は、絹・絁・糸・布など各地の産物を、庸は(  )10日間の代替に布2丈6尺を納めさせるもので、いずれも中央政府に送られ、その財源に充当された。

【解答】正解は歳役さいえきです。
庸とは歳役10日間の代わりに布二丈六尺を納める制度でしたね。10日間だけ都で仕事をするために、都まで移動するのは現実的ではなかったからです。

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おわりに

ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。

繰り返し当記事の解説や一問一答を読み込むことで、日本史の知識が定着しますので、ぜひこの記事をブックマークして日本史学習の参考にして頂ければ幸いです!

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