打製石器は、旧石器時代だけではなく、次の新石器時代(=縄文時代)にも使われました。
この記事では、その詳細を徹底的に分かりやすく解説します。
打製石器が使われていた時代
旧石器時代(=先土器時代)というのは考古学上の分類で、打製石器が使われ始めた時代のことです。打製石器には握槌/ナイフ形石器/尖頭器があります。黒曜石や讃岐岩を打ち砕いたものが打製石器ですね。
そして新石器時代(=縄文時代)になると石を磨いて作った磨製石器が使われるようになります。
では、新石器時代に磨製石器が登場すると打製石器は使われなくなったのでしょうか?実は新石器時代でも引き続き打製石器が使われます。
つまり新石器時代には打製石器と磨製石器が併用されたのです。大学入試共通テスト(旧・センター試験)では、この点が正誤問題でよく狙われます。
- (✖)新石器時代になると打製石器に代わって磨製石器が使用された
- (〇)新石器時代には打製石器に加えて磨製石器も使用されるようになった
打製石器の発見と旧石器時代文化の証明
ちなみに地質学上の時代区分である更新世の別名を旧石器時代といいます。更新世(=旧石器時代)に日本国内で人類が活動していたことがわかったのは戦後のことです。
なぜそれがわかったのかというと、1946年に熱心な考古学青年であった相沢忠洋(あいざわ・ただひろ)が群馬県の岩宿遺跡から打製石器を発見したからです。関東ローム層という赤土の地層から発見されました。
この相沢忠洋による打製石器の発見は、日本にも旧石器時代文化があることを証明したのです。
練習問題
「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。
1.独学で考古学を学んだ( )が、1946年関東ローム層の中から打製石器を発見した。
2.群馬県の( )遺跡で相沢忠洋が、更新世の堆積層中から人間の手が加わった打製石器を発見し、日本の旧石器時代の文化の存在が明らかになった。
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打製石器と磨製石器の違いについては、以下の記事で詳しく解説していますので、合わせてご確認ください。
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