この記事では、百万町歩開墾計画について簡単に分かりやすく解説します。
結論から言えば、国家財政を回復させるために発表された百万町歩開墾計画は大失敗に終わります。
百万町歩開墾計画の背景
百万町歩開墾計画の背景として、まずは「政府の財政がやばかった!」と理解してください。
財政とは政府が国を運営するための資金みたいなものですね。
ちなみに、このときの天皇は元正天皇で、政治の実権をにぎっていたのは長屋王です。
長屋王は、なんとか財政を回復させる必要があったんです。
運営資金が少ないって国のピンチですからね!
ふつうの会社でも資金が足りないと、倒産したりする。
それと似たようなものです。
そのためには、農民からの税収を増やさないといけない。
この時代の税金は食糧である米だったので、田んぼ(口分田)から得ることができます。
口分田とは6歳以上の農民に貸し与えられる田んぼのことで、農民は死ぬと国に田んぼを返さないといけない仕組みでした!
つまり口分田が多ければ多いほど財政は安定する。
しかし、当時、口分田は大きく不足していました。
それはなぜか?
まずは人口が増えてきて、口分田の数が追いつかない。
もう一つには、6歳以上の農民には必ず口分田が貸し与えられるわけですが、この口分田にかかる税が重すぎて、田んぼを捨てて、逃げる人が大量にいました(浮浪・逃亡)。
粗だけならなんとかなる。
粗とは、田地に課される税で収穫の約3%なので軽い。
けれども出挙まで課されては、あまりにも税が重すぎて生活していけなかったのです。
出挙とは、毎年春に強制的に稲を貸し付ける制度。
利息も30%~100%と重く、無理やりに借金を背負わされるので、農民には重い負担となっていました。
すると、あまりにも税が重く生活が苦しいため、みんな口分田を捨てて逃げてしまう。
ただでさえ口分田が不足して、国の財政はピンチなのに、実質的には耕されていない田んぼが続出します。
百万町歩開墾計画の発表と失敗
そこで!
ときの権力者・長屋王は、国家財政を回復させるために、百万町歩開墾計画を発表します。
いい感じに人口が増えているわけですから、それを逆手にとって、荒れ地をどんどん耕す(開墾する)ようにすれば、口分田をどんどん増やせる!という計画なんですね。
そうすれば、税収も安定し、財政も潤うはずです。
しかし、百万町歩開墾計画はうまくいきませんでした。
そもそも、当時の日本全国の面積が88万町歩です。つまり100万町歩の荒れ地を耕すって、日本を全部、田んぼにしても足りない。
あまりにも壮大な計画すぎて、実現できるわけがないんですね。スローガンが大きすぎてふつうに心が折れてしまいます。
その結果、1000町歩すら開墾することができなかった。
こうして、長屋王の百万町歩開墾計画は大失敗に終わるわけです。でもそこで諦めては財政はピンチのまま。
国家運営の危機です!
そこで、財政を立て直すために長屋王は次の作戦を考えます。
それが、三世一身の法です。
三世一身の法についてはコチラの記事で超わかりやすく解説していますので、百万町歩開墾計画とセットで理解すると、奈良時代の土地政策の移り変わりを把握できますよ!
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