カントの『純粋理性批判』は難しいですよね。
そこで、同書を読み解くヒントとして、「綜合判断と分析判断の違い」を解説していきます。
高校生や大学生、社会人の哲学入門に最適です。
『純粋理性批判』が未読でも、まったく問題ありません。
綜合判断や分析判断といった概念そのものが面白く魅力的でもあるので、きっと楽しんでいただけると思います。
この記事の要約
まずは、この記事で解説する内容の全体像を確認していきましょう。
初めのうちは、哲学用語が多く、戸惑うかもしれませんね。
でも、意味が分からなくても大丈夫。今は、なんとなく眺めていただければ、十分です。
読み進めるうちに理解できるよう工夫してあるので、ご安心ください。
- 真:正しい
- (例)2は偶数である
- 偽:正しくない
- (例)2は奇数である
- 命題:真偽を判定できる文や式
- (例)三角形の内角の和は180度である
- ア・ポステリオリな綜合判断:「言葉の意味+経験則」で真偽が分かる
- ア・ポステリオリ:後験的(経験後にしか判断できない)
- (例)すべての哲学書は難しい
- ア・プリオリな綜合判断:「言葉の意味+?」で真偽が分かる
- ア・プリオリ:先験的(経験するまでもなく判断できる)
- (例)1+1=2
- 分析判断:「言葉の意味だけ」で真偽が分かる
- (例)すべての犬は犬である
- すべての分析判断は、ア・プリオリである
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命題と真偽
命題は「正しいか否かをはっきり区別できる文」を指します。
この「正しいか否か」こそ「真偽」です。
- 真:ある命題が正しいこと
- 偽:ある命題が正しくないこと
ちなみに「1,000は大きい数である」は、命題ではありません。
なにをもって「大きい」とするのか、正しいかどうかを判断できないからです(大きいか否かは個々人の価値観による)。
大きい/小さいは、人によって意見が違いますよね。
ある人は「100以上からが大きい数だ」と言うかもしれません。またある人は「10,000以上からが大きい数だ」と考えることも。
一方「10は1より大きい(10>1)」は命題です(真の命題)。
これは、真偽(正しい or 正しくない)を判断できる文だからですね。
反対に「1は10より大きい(1>10)」も命題。
”明らかに正しくない”と、真偽を判断できますよね。ですから「1>10」も命題です(偽の命題)。
- 1000は大きい数である:真偽を判定できないので命題ではない(価値判断)
- 10は1より大きい:真の命題
- 1は10より大きい:偽の命題
- 真:正しい
- 偽:正しくない
- 命題:真偽判定のできる文や式
綜合判断と分析判断の違い
カントの主張する「綜合判断」はややこしいので、まずは簡単な「分析判断」から見ていきましょう。
分析判断とは
分析判断とは、経験則とは独立して、言葉の意味だけで真偽を判断する方法。
と言っても意味不明だと思うので、具体例を確認してみましょう。
【命題1】すべての猫は動物である。
命題1は、どう考えても「真の命題(正しい文)」ですね。
なぜ、正しい(真だ)といえるのか。
【猫】という言葉そのものに【動物】が含まれているので、真の命題なのです。
(猫は必ず動物なので、「すべての猫は動物である」は言葉の分析だけで、真だと分かる)
つまり、【猫】の定義に【動物】が含まれているため、「言葉の意味だけで」真偽を必然的に導くことができます。
ここで注意すべきは、「実在の猫を一匹ずつ調べなくても、真偽が分かってしまう(言葉の分析だけで真偽判定ができる)」ことです。
「動物じゃない猫もいるかも!?」と、世界中の猫を調べる必要はありません。
ですので、分析判断は経験則とは独立して言葉の意味だけで真偽が分かる方法です。
たとえば、
【命題2】すべての独身男性は未婚である。
は、世界中の独身男性を調査しなくても(経験則とは独立して)、言葉の意味だけで真だと分かります。
なぜなら、【独身男性】の定義に【未婚】が含まれているからです。
そのため、経験則とは独立して、言葉の意味だけで真だと分かるのです。
実際、結婚している独身男性はいませんよね(「結婚している独身」は、明らかに矛盾している)。
これが、カントの言う分析判断です。
ちなみに、「経験則とは独立している」を哲学用語で「ア・プリオリ」といいます。
すべての分析判断は、経験則とは無関係なので、ア・プリオリです。
分析判断:主語の定義に述語が含まれているので、言葉の意味だけで真偽を判定できる。
綜合判断とは
綜合判断には、2つの種類あります。
- 「言葉の意味+経験則」で真偽が分かる
- 「言葉の意味+?」で真偽が分かる
さきほど、「経験則とは独立していることを、ア・プリオリという」と説明しました。
反対に経験則が必須なことを、「ア・ポステリオリ」といいます。
経験則とは独立:ア・プリオリ(a priori、先験的)
経験則が必須:ア・ポステリオリ(a posteriori、後験的)
まずは2種類の綜合判断のうち、「言葉の意味+経験則」で真偽が分かるタイプのものを見ていきましょう。
ア・ポステリオリな綜合判断
言葉の意味だけではなく、経験則も加味して真偽を判断する方法を「ア・ポステリオリな綜合判断」と言います。
ア・ポステリオリ:後験的(経験後にしか真偽が分からない)
↕
ア・プリオリ:先験的(経験するまでもなく真偽が分かる)
これだけだと、混乱しますよね。
具体例で、理解を深めていきましょう。
【命題3】すべての独身男性は幸福である。
【独身男性】とか【幸福】といった言葉をいくら分析しても、真偽の判断は不可能です。
そこで、経験則。
何十人かの独身男性を調べてみると、幸福な人もいれば不幸な人もいる、と分かりますよね。
つまり、命題3は「言葉の意味+経験則」から偽だと判断できます。
このように、ア・ポステリオリな綜合判断は、言葉の意味と経験則で真偽を判定する方法です。
(分析判断は”言葉の意味だけ”で真偽判定ができました。ここが綜合判断と異なるポイントです!)
ア・プリオリな綜合判断
ア・プリオリは、「経験とは独立した、先験的」という意味です(先験的=経験に先立つ)。
ですから、ア・プリオリな綜合判断は「言葉の意味+?」で、真偽を判定する方法と言えます。
ア・ポステリオリな綜合判断は「言葉の意味+経験則」の組み合わせでした。
一方、ア・プリオリな綜合判断は、言葉の意味と「?」の組み合わせ。
たとえば、次の命題は真と偽のどちらでしょうか。
【命題4】3+6=9
命題4が真であることは、一目瞭然ですね。
ところが、「なぜ真だと分かるのか?」と問われると、困惑してしまいます。
- 言葉の意味を分析してみる:【3】、【6】、【9】といった数字をいくら分析しても真偽は分からない
- 経験則で考える:足し算は経験則から真偽を判断するようなものではない(1+1=2は、具体例を調査せずとも真だと分かる)
「すべての独身男性は幸福である」は、ア・ポステリオリな綜合判断(「言葉の意味+経験則」による判断)で真偽が分かりました。
ところが、「3+6=9」のようなア・プリオリな綜合判断は、言葉の意味だけでは足りないし、経験則からも真偽を判定できない。
つまり、ア・プリオリな綜合判断は「言葉の意味+?」で、真偽を判断しなくてはいけません。
では、「?」とは何か。
正直にいうと、筆者の理解力では説明不能。めちゃくちゃ難しい……。
すみません、これ以上何も書けないので、まとめに入りたいと思います。
(ちょこっと哲学入門なので、お許しください……)
まとめ:「正しい or 正しくない」の判断はとても難しい!
「3+6=9」のように、誰でも正しいと分かる命題でも、「なぜ真だと言えるのか?」は本当に難しいですよね。
さて、この記事のポイントは以下のとおりです。
- ア・ポステリオリな綜合判断:「言葉の意味+経験則」で真偽が分かる。分析判断のように、言葉の意味だけでは、真偽を判定できない。
- (例)すべての独身男性は幸福だ(→偽)
- ア・プリオリな綜合判断:「言葉の意味+?」で真偽が分かる。経験則は不要。
- (例)3+6=9(→真)
- 分析判断:言葉の意味だけで真偽がわかる。経験則は不要。
- (例)すべての猫は動物だ(→真)
- すべての分析判断は、ア・プリオリである
- 言葉の意味だけで真偽判定ができるので、経験に先立つ(ア・プリオリ)
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この記事が、『純粋理性批判』を読み解くヒントになれば幸いです!
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