現代文や難しい本を読んでいると、形而上学とか形而上学的といった言葉を目にして、「どうゆう意味!?」と困惑することも多いですよね。
この記事では「形而上学」の意味をわかりやすく解説しています。
ぜひ、現代文の読解や読書の参考にしてみてくださいね。
形而上学とは?
ここから、形而上学の語源、定義、イメージについて解説していきます。
形而上学の語源
形而上学はアリストテレスの提唱した”metaphysics(メタ・フィジックス)”の日本語訳で、中国の易経を参考に翻訳されたものです。
元々、アリストテレスは『自然学(フュジカ)』の考察をした後に、あらゆる存在を存在たらしめる根拠を探求するために「形而上学(メタフュジカ)」を記しました。
形而上学の定義
「形而上学とは◯◯だ!」と気持ちよく定義を解説したいところではありますが、アリストテレスから何千年も経った現代でも、万人が合意する「形而上学の定義」はありません。
形而上学のイメージ
これは正確な定義というよりむしろ、ざっくりとしたイメージですが、形而上学(metaphysics)とは「なぜ世界は存在するのか?」といった現実の究極の性質を探求する分野と言えます。
「なぜ世界は存在するのか?」「善とは何か?」のような物質的ではない、抽象的な存在そのものを扱う学問こそ、形而上学なのです。
物質的ではないってどういうこと?
物質的ではないとは、”正義”のように「カタチのないもの」「手で触れられないもの」のことを指します。
つまり形而上とは、カタチがなく精神的で「思考の中」にしかないものと言えます。
また形而上学は、いたずらに思弁的・神秘的で、その多くは少なくとも言語によって回答を示すことが難しいものです。そのため、本などの文献に「形而上的」と書かれている場合、大抵は、現実に則さない抽象的な思弁を非難する意味が込められています。
実際、実証主義を重視する哲学者のコントは「人間の知は、最初は神話的なものであり、次に形而上学的なものになり、最後はこれを克服して実証的なものとなる」と主張しています。
形而上の対義語は形而下
中国の易経では、形而上と形而下の2つの対立する概念を、次のように定義しています。
- 形而上:道(みち)
- 形而下:器(うつわ)
「道」とは、カタチがなくて手で触れることもできず、精神で認識すべきもののことです。一方「器」とは、目で見たり、触れたりできるものを指します。
つまり形而下(physics)とは「リンゴ」のように、カタチを備えたものであり、物質的なものなのです。
まとめ:形而上/形而下の意味の違い
- 形而上:カタチがなく精神的で「思考の中」にしかないもの
- 形而下:カタチがあり物質的で「目に見える」もの
以上で、形而上学の解説を終わりたいと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
コメント
コメント一覧 (2件)
上とか下とか、上が優った感じがしたが、曲解そのものだな。
かえって下の方が役にたつ学問ではなあか。
上原様
コメント頂きありがとうございます。
確かに、「上」の方が優れたような感覚がありますよね。
この記事の解説で、形而上と形而下の違いについて、上原様のご理解が進めば嬉しいです。
ありがとうございました。